表題の講座、5日目・最終日です。
いつもは午後の3時間のみの講座なのですが、今日は午前、午後それぞれ3時間使って行われました。
今回もロールプレイをしました。
前回と同様、「アグレッシブな表現」「ノン・アサーティブな表現」「アサーティブな表現」の3つの表現方法を、ある状況設定の中で考え、実際に劇として身体を動かしながらやってみました。
一応、前回の発展形で、「長めのやりとりをする」ということだったんですけど、これは冗長に感じられました。そもそも、やっているのが素人ですから、必然的にグダグダになります。それに、わたしにとっては、前回の短いロールプレイで十分この講座の肝をつかんだように思えました。
ですので、今回は補足的な回だったなという感想です(他の人はどうか知りません)。
最終回だったということで、今回も含めて、講座全体で得たもの、感じたことなどを書いておきます。
1.恒例の、「ためになった講師の言葉」
「この人はどうせ何も聴いてくれないと決め付けない。聴いてくれないときもあり、聴いてくれるときもある。本当に何も聴かないのであれば、関係は途切れているはず」
「バックグラウンドが違って話が噛み合いにくい相手というのは大勢いるが、そういう人とコミュニケーションをとれるようにする。ほとんどの人と考え方が違う、と思っていた方が、現実に近い」
(この「現実に近い」という表現がいいですね。理想から現実までのグラデーションがあるとして、より現実側ってことですよね。現実と言い切っていないところが面白いです)
「表現のトレーニングをしなければ、実際の場面でできるようにはならない。頭で理解していても、その場に立ったら、結局いつもやっていることが出てきてしまう」
(人との会話というライブの現場では、「考えている暇」はないので、あらかじめトレーニングをすることで、アサーティブな表現がその場でぱっと返せるようになりましょう、ということですね。これがロールプレイの意義ですね)
2.アサーション・トレーニングの成り立ちについて
・もともとは、女性や少数民族が、強い立場の人間に対して自由に物を言えるようになりたいと思ったところから始まった。
・「民主主義」と切り離せない考え方のようである。講師の話の中でも、「民主的でない親からは民主的でない子が育つ」「民主的であるとは、お互いがゆずり合って、気持ちをほぐしあうということ」など、「民主的」という言葉が何回もでてきた。圧倒的パワーをもった人間が他者をなぎ倒すというイメージとは正反対の考え方に基づいたトレーニングであるということ。
3.誰も言ってないし、誰にも言っていない、おにぎりが密かに感じたこと
・アサーション・トレーニング講座を受けようとするだけあって、参加者は、人の話を聴こう、前向きに話を返そうという人が多い。
・とはいうものの、程度はそれぞれで、中には、全然講師の指示を聴いてない人、強引に物事を決める人、自分ばかりしゃべる人もいる。
・「実は活動家」と思える人がいる。あまり関わり合いを持ちたくない。
・ここ何年間か、所属していた組織の中で「気の合いそうな人」に出会えないでいたけれど、この講座の中にはいた。いるところにはいるのだから、たまたまある時いなくても、落胆しないようにしようと思えた。
このトレーニング、楽しいことばかりではなかったし、お金の消費も結構なものだったんですけど、今この時期に受講できたことは、確実に自分にとってプラスになりました。
また、こういった、「市民が気軽に受けられる講習」というものが、巷にはたくさん存在しているということにも気づけたので、今後も何かしら受講してみたいなと思っています。
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